ビジネスにおける本当の強みの見つけ方~才能は能力のことではない
こんにちは、阿部隆宗です。
<1万時間練習すれば、どんな分野でも傑出した能力を身につけられる>
という考え方を、「一万時間の法則」と言います。
これはアメリカの作家、マルコム・グラッドウェルが
2008年の著書、『天才!成功する人々の法則』で提唱し、世に広めた概念です。
もちろんただ漫然と練習するのではなく、
質の高い練習を1万時間続けた場合にその成果が得られます。
この1万時間という考えはあくまで目安であり、
実際にはその半分で習得できる場合もあります。
ただ今回は「一万時間の法則」が正しいのかどうかを言いたいのではありません。
今回は【才能】についてのお話です。
「【誰でも】努力すれば傑出した能力を身につけられる」は間違いである
一般的に、どんな分野でも、誰でもそれ相応の努力をすれば能力は身につくとされています。
そして【才能】というのは、その能力を身に着ける時間が早くなるか、さらに突き抜けるためのものであるとされています。
つまり、【才能】というのは習得に関する能力なのです。
【才能】があれば、簡単に能力を身につけられますし、
【才能】がなくても、努力次第で能力を身につけられます。
だから行きたい分野に才能があれば有利に立ち回れますし、
無くても努力次第でどうにかなります。
だから「できない」というのはただ単に努力が足りないだけなのです。
という考え方は間違っています。
まず一つ、才能は誰にでもあります。
二つ、いくら努力しても無駄な領域は存在します。
(無駄は言い過ぎにしても非常に非効率です。)
才能とはパターンのことである
僕は「実は誰にでも秘められた才能がある」というようなことが言いたいわけではありません。
そもそも一般の才能のとらえ方が間違っていると言いたいのです。
そもそも一般の才能は捉えがたいもので、どうやったらそれがあるかどうか分かるのか、誰にもわかりません。
いえ、わかる人もいるでしょうが、それこそ「わかるための才能」が必要です。
また才能とは「特別な人」が持つもので、たいていの人は無関係です。
それはそれで構わないのですが、その認識から何が得られるかというと、
特に得られるものはありません。
むしろ「自分には才能がない」という諦めのための言い訳にしかなりません。
「どうやって諦めるか」の言い訳にしかならない才能の定義なら、そんなものはないほうがいいでしょう。
僕が才能の定義にふさわしいと思うのは、
ギャラップ社の定義です。
なぜなら、ギャラップ社の定義で【才能】をとらえれば、
成功の確率が上がるからです。
ここでいう成功とは、ビジネス上におけるものだけでなく、
人間関係、充実感、幸福といった、社会生活・生活面・精神面等
つまりは人生すべてにおける成功のことを言います。
一般的な定義の才能だけでは、このような範囲まで及びません。
【成功】していても、不幸な【天才】たちはいっぱいいます。
しかしギャラップ社の才能の定義を受け入れることにより、
自分が才能を発揮すべきこと、
そしてやらないほうがいいことがはっきりとわかります。
何より「自分には才能がない」などと思い悩むことがなくなります。
(一応言っておきますが、別にギャラップ社からこの記事を書くように依頼されたわけではありません)
ギャラップ社は過去30年以上にわたり、分野を問わず、
傑出した【才能】を持つ人々に関する体系的な調査を行ってきました。
200万人以上のインタビューデータに基づき、
あるパターンを発見しました。
それは、成功者は自分の自然な「傾向」を活用していたということです。
その傾向とは、自分の「繰り返される思考・感情・行動のパターン」のことです。
このパターンがなぜ重要か?
それは、
そのパターンに沿って行動すれば、自然と成功し、
そのパターンに逆らって行動すれば、非常に消耗し、
なおかつ大した成果を挙げられないからです。
お金を払ってやる仕事、お金をもらってやる仕事
例えば次のような状況を考えてください。
あなたは長時間の肉体活動を強いられます。
重い荷物を背負い続け、悪天候の中歩き続けます。
しかも足場が悪く、命の危険も伴います。
さて、あなたはこの作業にいくら払いますか?
「いくらもらったらやるのかの間違いでは?」
と思われるかもしれませんが、間違っていません。
「あなたが」いくら払うのかという問題です。
これは非現実的なことを言っているのではなく、
実際に多くの人が1万~2万くらいを払って、1日2日かけてこれをやっています。
中には何十万、何百万を支払ってやる人もいるようです。
この人たちはどうかしているのでしょうか?
いいえ、これはごくごく普通の「仕事」です。
そう、この「仕事」の名前は「山登り」です。
あなただったらこの「仕事」をやるのにいくら「払い」ますか?
休日を丸々この「仕事」に費やそうと思いますか?
この「仕事」に情熱を燃やせますか?
僕は無理です。お金もらってもやりたくないです。
絶対に仕事としてやらなければいけないのならば、
しぶしぶやるかもしれませんが、休日まで潰されたくないです。
情熱なんかあるわけがありません。
しかし世の中には僕とは真逆のことをする人たちがいます。
僕の言いたいことが分かるでしょうか?
これが【才能】です。
僕には実はもしかしたら大変な山登りの潜在能力があるかもしれません。
だとしてもその潜在能力を解放させようなどとは思いません。
やりたくないからです。
そして実際そんなものはないでしょう。
だからやらされれば非常に苦痛な時間が続くだけです。
その状態でやらされて、何か技能が身につくでしょうか?
ある程度は身につくでしょうが、
その進捗は芳しくないのは目に見えています。
大谷翔平は非常にストイックで有名です。
では彼は野球の練習をイヤイヤやっているでしょうか?
まず間違いなく違います。
どんな練習でも楽しくできる【才能】が有ります。
しかしそれはどんな努力も楽しく感じられる【才能】ではありません。
彼が野球が好きだから、それらを【努力】と感じないのです。
こうした努力の質と量において、【才能】のある人と、
そうでない人を比べたときに、どのくらいの差が出てくるでしょうか?
比べるまでもないでしょう。
思考パターンはどこからくるか?
僕が言いたいのは、どんなことが好きかどうか?ではなく、
あなたが息をするように自然にできるのは何か?ということです。
情熱を注ごうという努力がいるようなものは【才能】ではありません。
それは生理的なものに近いかもしれません。
つまり、なんでそう感じるのかを説明できないが、
とにかくそう感じる、そう考えてしまうというようなものということです。
あなたに「快・不快」という感覚はありますか?
それが才能です。
なので誰にでも才能は存在します。
(なければないかもしれません)
快の伴うことをやれば、エネルギーが充填されます。
それは肉体的な限界を超えてまでやろうとします。
不快なことはエネルギーを消耗します。
肉体的な限界よりも、精神的な限界が先に来ます。
「快・不快」は生まれつきなものと、経験によって形作られます。
それは理性でどうにかできるものではありません。
なので我々ができるのは、その感覚とどう付き合うか、ということだけです。
ギャラップ社はそうした感覚・思考のパターンを34に分けました。
ここではその34のパターンを紹介することはしません。
「ストレングスファインダー」で検索すればすぐ出てきます。
(人の複雑性を34で表し切れるのか?という問題はありますが、
多くしすぎても実務的ではないという判断から34という数に限定したそうです。)
神経学によると、そうした思考パターンは脳の中の複数の神経が連動して生み出すものだそうです。
そして、ある一定の年齢を超えると、パターンを一から作り直すことはできません。
なので、その思考パターンは永続的なものです。
だから社員教育で共感性の低い人に、共感性を植え付けようとしても無駄ということです。
それは本人の努力でどうすることもできない領域です。
例え本人が変わりたいと望んでいたとしてもです。
しかし悲劇的なことに、そうした弱点を克服することばかりに焦点を置いているのが現代社会です。
しかもそれは善意に基づいています。
「人はやればできる」という否定しがたい事実を元にして。
実際にやればできます。
ただ、恐ろしく簡単に、楽しみながらできる人と、
恐ろしく消耗し、耐え難い苦悩を背負いながらできる人がいるだけです。
必要なのは弱点を克服することではなく、
才能を知り、それを伸ばしていくことです。
まとめ
成功者はすべて、持てる才能を最大限に発揮し、自らの強みを磨き、
仕事に生かすすべを知っていました。
自分の才能に基づいたことをやれば、その分野で卓越できます。
逆に弱みに基づいたことをやり続ければ、非常な労力を投入して、かつ杜撰な成果しか生みだせません。
そういう視点から、自分の強み・弱みを見つめてみてはいかがでしょうか?
