問題は解くことよりも気づくことの方が難しい

こんにちは、阿部隆宗です。

およそビジネスに携わる人の中で、
問題解決に苦労していない人はいないでしょう。

それくらい人々を悩ませる問題解決ですが、
一体何がそれほど人々を悩ませるのでしょうか?

問題とは本当のところ何か?

問題とは現実と理想のずれのことです。
逆に言えば、理想が低ければ問題は発生しません。

そして人間は適応力に富むため、始めは問題だと認識していたものが、
時間がたつにつれて問題だと思わなくなります。

サービスの設計家が、使用者にとって不便なサービスを作ってしまうのはここに原因があります。
サービスの設計家は、そのサービスに慣れているため、
何をどうすれば欲しい結果が得られるかすぐに分かります。

しかし使用者は何をどうすればいいのか、そもそも何ができるのか、
サービスを使いだすまで分からないため、不便に感じます。

問題がなければ問題解決は図られません。

逆説的に、問題解決の第一歩は、まず問題を問題だと認識することです。
そうすれば問題はたいていの場合容易に解けます。

「問題」は、問題だと認識することがそもそも難しいと言うことです。
そもそも問題を認識していないのに、どうやって問題を発見すればいいのでしょうか?

これを解消するのは簡単なことではありませんが、しかし簡単です。

そもそもの原因は、その解決手段に慣れていることです。
よって、その解決手段に慣れていない人を連れてくればいいのです。
つまりは問題に「適応」していない人を連れてくればよいということです。

先ほどの設計家と使用者の例で言えば、そもそも設計段階で使用者を参加させればいいでしょう。

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こうして「適応していない」視点を取り入れることで、
僕たちはようやく目の前の問題を認識することができます。

認識すれば問題を解くために努力することができる。
そうして問題は解決される。
これが問題解決のサイクルです。

しかし新しい解決は同時に新しい問題の出発点となります。

問題のサイクル

一つ問題が解ければ、新たな問題が出てくる。

このサイクルから逃れることはできません。
これは現実がもつ法則です。

なにかが解決されるとは、何かの状況が変化するということです。
なにかの状況が変化するということは、調和を保っていた何かが崩れるということです。
なにかが崩れれば、そこに不均衡が生れ———つまり問題が発生します。
だから我々が期待できるのは、問題を別の問題に置き換えることだけです。

現実は常に流動的であり、流動しているということは、常に「ズレ」があるということです。

それは地震のメカニズムに似ているかもしれません。
どこかの時点で完璧な調和を持って釣り合っていたとしても、
少しづつズレていき、ズレはどんどん大きくなっていく。

そしてある閾値を超えたとき、そのずれを戻そうとする働きが発生する。

これが「問題」です。

そして一度その問題が解決されたとしても、現実である限り、
また新たな問題のエネルギーが水面下でたまっていき続けている。

それが次のずれの起点となります。

現実である限り、静止した状態であり続けることは不可能です。
その状態を保つことはできますが、それにはエネルギーが必要です。

静止した状態であり続けるために、動的でなければならない。

これは矛盾ではなく、結局動的システムに静止状態が支えられているというだけの話であり、
結局現実が常に流動的であるというまたとない証明となっています。

サイクルから逃れている状態があるとすれば

問題とは、理想と現実のズレです。
それがそもそも無いということは、完全に社会を構成している人々が
完全にそのシステムに適合しているということです。

それがどれだけ非効率で、不条理で、非道徳的でも、
全員が納得しているならば、それは問題ではありません。

問題がないとは、問いが消滅している状態です。

しかしこの状態は本当の意味で「問題」がなくなったわけではありません。

問題を認識しなくなっただけです。

確かに内部では完璧な調和が保たれています。
しかし、外部からの衝撃によって、その調和は簡単に崩壊する危険性は常に存在します。
そうなった時内部の調和性が以前と同じである保証はありません。

よって新たな問題が生まれ続けているとは、
言い換えると<問い続けている>状態であると言えます。
問題がないとは、<問いがない>状態です。

問いが問題の起点

問いが問題の起点であり、問うためにはまず不適合を認識しなければいけません。
つまり、そもそも<問題を解きたい>と思う必要があります。
そうすることで、その問題を解くためにどんな問いが必要かを考えることができます。

例えば商品・サービスを提供した顧客から、毎回同じ質問が来るとします。

その質問は簡単に回答できるもので、つまり毎回それは簡単に解決できているものとします。
よって<問題は起こっていない>。なぜなら顧客の問題を解決できているから。

これは確かに正しいです。

顧客の疑問・不満を直ちに解決できているのだから、むしろ良いオペレーションだと言えます。
だからこそ、毎回同じ質問が来ること自体が問題であることに気が付けません。

それはつまり商品・サービスの提供時点で、
その部分に対する説明が十分になされていないと言うことなのですから。

いや、もしかしたらそれで済まないかもしれません。

ハインリッヒの法則というものがあります。
これは
「1件の重大事故の背景には、29件の軽微な事故、300件のヒヤリハットが存在する」
という法則のことであす。

ヒヤリハットとは業務において「ヒヤリ」とか「ハッ」っとするようなミスが起きたものの、
幸い大きな事故につながらなかった事例のことです。

もしかしたら<毎回同じことを聞きに来る>はそのヒヤリハットの一つであり、
実は「重大事故」につながる兆候かもしれません。

つまり、こうやって実際に尋ねに来るのは実はマシなほうで、
本当はその問題によって多くの顧客が不満に思い、ただ黙ってサービスを解約しているのかもしれない。

あるいはその説明が十分になされていないせいで、
商品の魅力がアピールできず、有望な顧客を逃しているのかもしれない。

はたまたその「使いにくさ」が陰で評判となってしまっていて、
ブランドを毀損しているのかもしれない。

いずれにしても、そうしたことに気づくには、
それが不具合であることに気づくことができなければ、
何の対策も立てられません。

転嫁先

問題は解決されるのではなく、別の問題に置き換わるだけ、と先ほど言いました。
しかし当然ですが、置き換わった問題が前よりもましである保証はどこにもありません。
むしろ、より厄介な問題へと発展する可能性だってあります。

そうならないためには、思いついた問題の解決策が、
おじゃんになる原因を3つは把握している必要があります。
それができていないならば、本当に問題を把握しているとは言えません。

というのも、どんな解決策でも、それをおじゃんにする要素は何百と存在し、
そのうちたった3つを考え出せないなら、それは問題に対して真剣に向き合っていないといえるからです。

現実のシステムの中にいる限り、問題解決は次の問題の引き金になります。

その点を考慮せずに問題を解決しても、結局は以前解決した問題が形を変えて戻ってくるだけです。

それは<穴の開いたバケツに、ガムテープで補修し続ける作業>のようなモノです。
劣化したバケツはどんどんひび割れていき、そこもガムテープで補修し続ける。
以前張ったガムテープも劣化して剥がれ、またガムテープを貼り続ける。
最終的にはバケツの底が完全に抜け落ち、修復不可能になる。

安易な解決策は何も解決していないに等しいでしょう。

不具合に気づく

これまで真の問題解決の第一歩は、認識していなかった不具合を認識することであると語ってきました。

そしてその不具合を認識するのに一番手っ取り早いのが
「適合」していない人に聞くことであるとも言いました。

しかしそれ以外にも不具合に気づくための手段がいくつかあります。

  • 自分たちがやっていることを予備知識のない人に説明する
  • 「本」の不便なところを10項目挙げてもらう。
  • 問いの表現を変えてみる。

などです。説明しましょう。

自分たちがやっていることを予備知識のない人に説明する。

海外旅行にいくことで、新しい刺激を受け取れます。

しかしそれ以上に新しい刺激を受け取れる方法があります。
それは日本のことを外国人に説明することです。

自分たちにとっては足り前であることも、
外国人にとっては新鮮なことです。

しかし自分たちにとってあまりに当たり前だからこそ、
そのことを説明することができない自分に気づきます。

そのように説明に窮する場所こそが、不具合の潜伏場所です。

もちろんこれはありとあらゆる状況に当てはまります。

自分たちの専門を、専門外の人に説明する。
自分たちの会社のことを、会社外の人に説明する。
自分の趣味のことを、友達に説明する。

古代のことわざに、
『人は教えることによって、もっともよく学ぶ』
という言葉があります。

これは知らない人に説明しようとすることで、
その人に通じる概念と結び付けて理解してもらうために、
物事を新たな視点で見つめなければならなくなった結果、
理解を深めるということです。

「本」の不便なところを10項目挙げてもらう

これは普段いかに不具合を見落としているかを自覚してもらうための
エクササイズです。

本のようなもう長いという歴史を持つ「当たり前」の「完成」された形態のものでも、
不便があるのならば、それ以外のものにも当然不具合があるということです。

2,3個はすぐ思いつくでしょう。
しかし10個となると、固定概念を捨て去る必要があります。
10個思いつくかどうか、より多くを思いつくかどうかよりも、
その、固定概念を捨て去れるかどうかがここでは重要です。

問いの表現を変えてみる

例えば「どうしてこの商品が売れないのか?」という表現を、
「どうしてこの商品が買えないのか?」という表現に変えてみます。

つまり、主語を「我々」から「顧客」に変えてみるということです。

考えてみましょう。

「買えない」ということは、実は欲しがっている。
欲しがっていて買えないということは、
単純に値段の問題だろうか?

値段以外にも理由はあるだろうか?
自分が相手の立場だったら、値段だけが重要だろうか?

品質も重要だし、もしもそれを買うことで他になにか不利益があったとしたら?

例えばアダルト商品なんかは買っていることが知られたくない商品だ。

そういえば最近は紙の書籍をあまり買わず、電子書籍ばかりだ。
これは持ち運びしやすいというのもあるけれど、
家が散らかっていて、あまりモノを増やしたくないからだ。

そういう視点から、この商品を買うことを躊躇している理由を探し出せないだろうか?

・・・

あるいは「この商品」というところを強調してみるというのも手です。

「『この商品』ではなく、別の商品ならば買うのか?」

という問いに変えてみるのはどうでしょう?
問いの形は答えの形を変えます。

〇 「←これは何ですか?」

と問われれば、多くの人は「丸」と答えるでしょう。
しかし問題文を次のように変えると、

〇 「←これは見慣れないあるものを示すものである。それは何か?」

こうすると答えられる人はほとんどいません。
そして問題を出した人にとって、〇をほとんど見たことがないのならば、
答えが「丸」だとしてもそれは正解になります。

でも何が正解かどうかはこの際どうでもいいことです。

重要なのは、問いの形により、人間にはフィルターがかかるということです。
問いの形を変えることでフィルターがかかり、出力もそれに応じて変わるのならば、
問いの形を変えるだけで様々なアイデアが出せるということです。

以下に問題文の表現を変えるためのリストを用意しました。

  • 強調するところを変える
  • 主語を変える
    • 私をあなたに
    • 1人を複数人に
    • あなた、私を私たちに
    • 無生物にしてみる
  • 大きさを変える
  • 否定と肯定を入れ替える
  • andをorにしてみる
  • 絵にしてみる
  • 式にしてみる
  • 全部を一部にする
  • 「常に」を「時々」に変えてみる
  • 言葉の定義を曲解してみる
  • 両極端にしてみる
    • 1日と100年
  • 接続詞を変える
    • AだからB→BだからA
    • AだからB→AなのにB
  • なぜ(過去)ではなくどうなったら(未来)を考える
  • 異業種の言葉で例えてみる

ぜひこれらを活用して、様々な不具合を発見してみてください。

今回はここまで。